COCA-COLA NO.1 #1







1886年(明治19年)に、ジョン・ペンバートン博士(アトランタの薬剤師)は世界一ポピュラーなソフト・ドリンクを作りました。 コカ・コーラは、アトランタで急速にポピュラーなソーダ・ファウンテン(喫茶
店)の飲み物になっていきました。そして全米、全世界へ広まっていきました。

写真は1886年5月8日に初めてコカ・コーラを販売した、アトランタのジェイコブス・ファーマシー
(薬屋)の外観と、中の片隅にあるソーダ・ファウンテン。





ジョン・スミス・ペンバートン 1831-1888

1831年にジョージア州、ノックスビル生まれる。薬学学校を卒業して、ジョージア州、コロンブスに
彼自身のドラッグ・ストアを所有していました。南北戦争中は同盟者を守るために南軍に志願し、戦いました。戦後は、アトランタに移って、薬を製造販売し始めました。彼のコカ・コーラ以外のヒット商品として、ワイン・コカという商品がありました。





ジョージア州、コロンバスのリンウッド墓地にあるジョン・ペンバートンの墓。
墓石にORIGINATOR OF COCA-COLAなんて刻むなんてかっこいいーよね!






エイサ・グリッグス・キャンドラー 1851-1929

1851年にジョージア州、ヴィラ・リカに生まれる。ペンバートンは研究家としての才能はあったが、
ビジネスは下手でした。ペンバートンも1887年になると病気になり、事業の株を他の方に譲ることになり、これに目を付けたのがキャンドラーでした。キャンドラーは非常に抜け目のないビジネス
マンで、 機会を見ると、彼はすぐ行動しました。この飲料はもう少し手を加えれば、きっとすばらしい商品になると・・。

キャンドラーは、その初めから、コカ・コーラをトップブランドに変えました。 コカ・コーラが全く以前は売り出されたことがなかったように彼は製品を売り出しました。 彼は巨額な金額を広告に費や
し、コカ・コーラビジネスを成功させました。





アトランタの本社玄関前で

イサ・キャンドラーとスタッフで記念撮影(1899年頃)。





ビーデンハーン・キャンディー・カンパニー

創造的な若いキャンディー商人(ジョセフ・ビーデンハーン)には、いつでも、どこでもそれを消費することができるように、ボトルにポピュラーな炭酸飲料を入れる良い考えがありました、1894年
夏に、いつでも、どこでも・・・。 飲み物はコカ・コーラでした。 

補足として1894年夏、以前は、ソーダ・ファウンテンでグラスに注いでの販売だけでした。ビィーデンハーンにつきましては別のページ、ジョーとコカ・コーラをご覧下さい。





ハッチンソン・ストッパーボトル

コカ・コーラのボトルは、このハッチンソン・ストッパーボトルからスタートしました。ハッチンソン・ストッパーは、1879年にシカゴのチャールズ・ハッチンソンによって発明され、この時代の極一般的
なソーダボトルの栓でした。ハッチンソン・ストッパーはワイヤー、栓、ゴムの3点で構成されてましたが、あまり衛生的でないと判明しました。ストッパーは引き上げて取り除くではなく、押し下げるものでした。栓の部分は鉄で周りにはゴムが付いてましたが、漏れないためのパッキン代わり
程度で、1週間も経つと鉄の部分は錆始めたりしました。このようなことから1900年頃から王冠で
栓をするボトルに変って行きます。

コカ・コーラの販売は1900年頃以前は主にソーダ・ファウンテンでしたが、1899年から全米各地にボトラー(コーラを瓶詰めして売る会社)が出始めました。上の様な衛生的問題とボトラーが出始
めた時期と重なり、使用した期間が短かったため、このハッチンソン、コカ・コーラ・スクリプト・タイプは非常に貴重です。スクリプトとは、コカ・コーラのロゴのことです。

ボトラーにより会社名しか入ってないもの、ブロック体でCOCA-COLAと入っているものなどあります。





ハッチンソン・ストッパー


 


ストレート・サイドボトル

1892年にメリーランド州、ボルティモアのウイリアム・ペインターは王冠を発明しましたが、10年間位は適用されませんでした。王冠は裏のコルクの部分(現在はポリエチレン。名称はライナー)で飲み口を完全密封出来るため衛生的です。20世紀のソーダボトルの栓として普及しました。ここから1900年頃からのストレート・サイドボトルの始まりです。

一方日本で初めて王冠の製造・販売が開始されたのは、1908年(明治41年)です。当時、大日本麦酒(現アサヒビール、サッポロビール)が王冠採用第1号となったのですが、本格的に日本で使用されだしたのは大正の中頃でした。このように世界に比べ、日本での王冠普及が遅れた理由は2つあげられます。ひとつは、王冠の性能の良さを知るのに時間がかかったこと。もうひとつは、
王冠の使用に適するボトルを作る技術が発達していなかったことです。明治末期はまだクラウン
コルク社が特許権を握り独占状態だったのが、特許権が切れると同時に小規模の王冠工場が各地に設立されました。そして、自動製壜技術の発達によってボトルの口径が統一され、大正の中頃にはほとんどの飲料物に王冠が使用されるようになったという訳です。王冠は発明されてから
約100年以上経った今でも、ほとんど形状を変えずに使われ続けています。



 

王冠





ホッブルスカートボトル(試作品)

順調に売上げを伸ばしていったコカ・コーラだったが、ストレート・サイドボトルは、ボトラーにより
バラバラのデザイン。他の飲料(ペプシ・コーラなど)も、このストレート・サイド・タイプのボトルを使用していました。そこで1913年になると、全米のどこでも同じスタイルのボトルで販売することにな
りました。

コカ・コーラは数社のガラス社に、独特のボトルを開発するよう依頼しました。結局、インディアナ州、テレ・ホートのルート・ガラス社のデザインを採用することになりました。

このデザインは、カカオの果実を参考にデザインされたと言われてますが、ボトルに仕上げたところ、当時流行っていたウエストの部分がキューと締まった女性用のスカート、ホッブルカートに似
ていたため、ホッブルスカートボトルと呼ばれるようになったようです。

なんとなく女性の体形のイメージあるでしょう?





ホッブルスカートボトル(PAT'D NOV 16. 1915)

アメリカ人特有?の「巨乳」のように横に張り出した上のような試作品では、当時のびん詰め機械
に適合しなかったため、このようにスマートになったものに改良されました。このボトルは1915年
11月、米国特許庁に登録され、1917-1920年にかけて全米各地に広まっていきました。現在では世界中の人々が、コカ・コーラのロゴが入ってなくても、このデザインを見ればコカ・コーラと、わかるほどになりました。

ルート・ガラス社が開発したこのボトルは、他の瓶メーカーも製造を行なっていましたが、権利は、ルート・ガラス社にあるため、他の瓶メーカーは、同社にロイヤルティーを払っていました。
ロット数は把握しておりませんが、その額は当時、5セントといわれています。1932年にルート・ガラス社は、オハイオ州のオーエンズ-イリノイ・ガラス社と合併し、全米でトップの瓶メーカーになりま
した。

1932年以降のボトルの製造は、オーエンズ-イリノイ・ガラス社とテネシー州のチャタヌーガ・ガラス社が圧倒的にシェアを伸ばしました。又、戦後日本に初めて入ったボトルの殆どは、オーエンズ-イリノイ・ガラス社のボトルです。


コカ・コーラが一番 #2に続きあります。ご覧下さい。




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